JOURNAL
− ジャーナル −
#9 真備の若手経営者 |
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#対談 #地域 |
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ー テオリ新代表の就任 ー
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2021年7月、創業以来株式会社テオリの代表を務めていた中山正明が退任し、中山和幸が代表取締役に就任しました。テオリ二代目社長のひととなりを、同じ真備町で木工業を営む株式会社ホリグチの代表取締役、堀口真伍さんにお伺いしました。
堀口真伍さんは株式会社ホリグチの3代目社長。ホリグチ2代目社長の堀口昭良さんと テオリ創業社長の中山正明は、真備を府中(広島県)に負けない木工産地にしようと共に奮闘し、ビジネスパートナーを超えた朋友とも言える間柄でした。現在、堀口真伍さんと中山和幸は真備船穂商工会青年部に所属し、水害で被災した真備の復興や地域振興に共に取り組む間柄です。 |
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ー 幼少期〜商工会青年部での活動 ー
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堀口真伍さん:
幼少期から広島カープのファンだった僕は、同じくカープファンだった中山正明さんによく野球観戦に連れて行ってもらいました(父の昭良さんは巨人ファン)。その時にはたいてい和幸さんも一緒に観戦していましたね。
僕が大学卒業後に就職した企業から株式会社ホリグチに戻り、真備船穂商工会の青年部員になった頃、和幸さんも府中(広島県)の木工会社から株式会社テオリに戻られていました。同世代の後継者として、商工会青年部にお誘いしようとお声がけした時が、幼少期以来の再会でしたね。
中山和幸:
2003年にテオリに戻って、工場の加工現場で勤めていたころに入会のラブコールをもらっていましたが、当時はお断りしていました。2011年に現場から事務所勤務に代わり、自分の時間が調整できるようになったことをきっかけに、自らの意思で商工会青年部に入らせてもらいました。引き受けるからには幽霊部員のような中途半端なことはしたくないので、状況が整った時には覚悟を持って入るつもりでした。
堀口真伍さん:
最初は大人しい方という印象でしたが、一緒に活動する中で、何事に対しても手を抜かず一生懸命に取り組まれる方ということがわかってきました。最終的には青年部の部長まで勤められ、水害の復興からコロナ禍の始まりという難しい時期に、皆の意見をよく聞いて青年部をまとめてもらったと思っています。
和幸さんが入会された頃に、僕は株式会社ホリグチの代表取締役に就任しました。リーマンショックの余波と東日本大震災のあった厳しい時期でしたが、大変な時期に社長を交代したことは、今になって思えば良いタイミングだったと思います。現在もウッドショックやコロナ禍の影響が見通せない大変な時期ですが、その経験は後々の糧になると思います。西日本豪雨の際には、テオリの工場もご自宅も被災されていますが、人生観が変わりましたか?
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ー 西日本豪雨と地域復興の取り組み ー
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中山和幸:
やはり人生観が変わりましたね。他所で起きた災害でも、裏も表も想像してできてしまうので、他人事とは思えなくなります。被災した当時は、まず会社を片付けて復旧を急ぎ、目処が立ってからは6〜8時まで自宅の片付けをしてから、9時から16時まで仕事をして、16時から暗くなるまで再び自宅の片付けをする毎日でした。商工会青年部の仲間達も、自身も被災している中でゴミの片付けや支援物資の分配を行っていました。二度と経験したくはないけれど、自身と地域のことを考えるまたと無い契機となりました。
堀口真伍さん:
私も水害を経て、真備をいい街にしていきたいという思いが深まりました。被災後の真備町は、復興とともにコンパクトシティ化が進んでいます。それぞれが地元をどうしていきたいのかという意思がますます大事になりますね。
今ホリグチでは、復興した真備を見に来てもらうきっかけとして、真備や総社の各地に自社製サイクルスタンドの寄贈を行なっています。テオリさんは以前から地元素材を活かして地域のことを発信しておられるので、憧れている部分もあります。お互いが切磋琢磨することで地元経済を牽引することができたら良いですね。
中山和幸:
業界内では「テオリ=竹の会社」という印象が強いですが、まだまだ地元の方々にも知られていないと実感しています。まずは地元真備で、竹林管理をされている方々と一緒に成長し、竹循環社会の実現を目指していきたいです。 |
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株式会社ホリグチのHPはコチラ |
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#10 2021.10.2 upload |
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スタッフ紹介 vol.1
金盛(かなもり)君のインタビュー |
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#スタッフ紹介 #対談 |
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