テオリ
金田さんはテオリの創業にどのように関わられたのですか?
金田さん
元々創業者の会長(中山正明)と同じ家具の会社で働いていましたが、会長が独立されるという噂を聞き、ぜひ一緒にと私から電話をかけてお願いしました。
会社の立ち上げの際には、七十坪ぐらいの電気屋さんの倉庫を借りて、会長と奥さん、定森と私の四人でスタートしました。当時私は二十六歳でしたね。
テオリ
創業当初のお話は中山会長にもお伺いしましたが、工場はかなり狭かったそうですね。
金田さん
細長いウナギの寝床のような建屋だったんですね 。その中に事務所や機械があり、トラックを止めて荷下ろしをするスペースもわずかしかなかったので、雨が降ったりすると作業も出荷もまあまあ厳しかったですね 。しかし狭いながらもバタフライ天板(折りたたみのテーブル天板)やキッチンの扉などを作って、仕事としては回っていましたね。1993年に現在の本社工場に移りましたが、まだ下請け仕事が中心でした。
そんな中でも地元のものを活かして何か独自のものを持っておかないといけないとの思いから、1996年頃から竹に取り組み始めました。紆余曲折を経て徐々に形になり始めましたが、当初から材料売りはしないという方針はしっかり持っていました。
テオリで何か価値を生み出してから、その後様々な方にお手伝いをいただくという形。これが会長の考えだったんですね 。
テオリ
金田さんも中山会長と同じ考えだったのですか?
金田さん
そうですね。付加価値となるところをちゃんと我々で握っておくといういうことですね。やはり小さくともきちんとした役割を持った会社でないと、いつか必要とされなくなります。
ただただ会社を大きくすることはできるんですよ。下請けで大きなところについて何でもやりますっていうふうにすれば、50人でも60人でも雇えるんです。ただそれでは先方の考えが変わったらそれでもう終わりなんですよね。でもこれが数人しかいない会社であっても、この線だけは自分達でないとできないというようなものを持っていれば、企業としては生き残ることができる。それが会長の考えだったと思うし、僕もそう思っていました。
テオリ
竹に取り組まれた当初は、どんな苦労がありましたか?
金田さん
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