1999年、竹集成材の国内生産の難しさを痛感した中山正明は、
中国での竹集成材生産を模索した。
温帯性の竹の生息域は、世界でも西日本と同じ緯度帯に限られており、
生息域や生産コストを考慮すると、
対象地域はおのずと中国の特定地域に絞られる。
現地に赴き工場を訪ねた際には、
品質管理体制と乾留釜(かんりゅうがま)の有無を注視した。
竹は糖分が多く虫がつきやすいため、自身で竹集成材を作った経験から、乾留釜による糖分除去プロセスが必須だと考えていた。
そしていくつかの工場を視察する中で、
浙江省の安吉に剣道の竹刀(しない)を作る工場と出会う。
そこでは竹刀の他にトラックの荷台の内張用として竹を張り合わせた
竹集成材のイメージに近い合板を製造していたが、
隙間だらけでまだ家具に使える品質とは言えないものだった。
中山は粘り強く工場とやりとりを重ね、加工や接着の指導を行い、
ようやく求める品質の竹集成材を日本に輸入する体制を整えた。
技術や情熱でものづくりをする中山に工場の社長も共感し
竹集成材を共に作り上げてくれたが、その工場の生産力からすると、
テオリとの取引は小さなもの。
しかしビジネスの上手な工場の社長は
後にテオリとは別に独自の販売網を作りアメリカ向けに
竹集成材を生産する大規模工場となった。 |