TEORI   bamboo circular economy
竹循環型社会を創る
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JOURNAL
− ジャーナル −

#27
 地域社会人
有限会社くま代表 辻 信行さんへのインタビューvol.2

 
 

 

#倉敷 #人 #シティガイド  
     
 
前回は有限会社くまの事業の根底にある辻さんの想いを聞かせて頂きました。#27からは実際の事業をどのように行われているのか具体的に伺いました。
今回は時系列に沿って一番初めの店舗である「三宅商店」と倉敷市民に愛される美しい景観の酒津公園に有る「水辺のカフェ三宅商店酒津」について伺いました。
 
 
 
三宅商店のinstagram   水辺のカフェのinstagram

 
   
  本町通りを伝えたくて  
   
     
 

| 町家喫茶 三宅商店

本町通りの町家喫茶「三宅商店」は、2004年から営業を開始し、現在22年目に入っています。戦前から日用雑貨を扱っていた三宅商店。江戸から明治期の母家や蔵を構え、歴史ある町家です。また、それと同じように地域の暮らしを支えてきた「三宅商店」の屋号も、地域の記憶として継承しました。

当時、川沿いの美観地区中心地に対して裏通りと呼ばれていた本町通りは、今も暮らしやものづくりが現役の街道です。この本町通りを伝えるきっかけづくりの場として、町家喫茶 三宅商店を始めました。
ここもまた、「本質×カワイイ」仕掛けです。美味しい、癒されるカフェ・甘味処であれば、三世代みんなが本町通りを目がけて足を運んでくれます。
再生前、町家の空間は、商いをしながら明治・大正・昭和・平成とその時代に暮らしやすいように新建材で増築され、薄暗い印象でした。オリジナルの姿に戻そうと、友人や家族、両親に全社員(2名)総出で解体分別処理、修繕、改修し、かつての縁側、通り土間、荒壁の町家空間に光と風を取り戻りました。一部屋だけは座を落として厨房にし、あとは時間と手間をかけて明治期の母家の姿に戻しました。

カフェメニューは、地域と季節に寄り添い、全て手作りです。地域素材を使った季節のパフェは当初から年間8種類。当時まだ全国的には、チョコレートパフェとフルーツパフェくらいしか喫茶店で提供されていなかった時代に、地域と季節を表現したパフェが人気となりました。中でも和栗のパフェの時期は、東京など遠方からのリピーターも現れ嬉しい瞬間でした。
これらの果物は私が4000キロ歩いたときに出逢った農家さんから直接、シーズン中の規格外品、もったいないを全量買い取っています。カフェメニューにはそんなに必要ありませんが、農家では毎日規格外が出てしまうので、全量引き受けることで農家さんに喜んで貰いたいのです。
三宅商店の店頭では、農家さんのお裾分け価格として、一玉100円の桃の販売を20年間続けました。

 
     
  世代をつなぐ共感の場  
 

町家喫茶としてスタートしたての頃、女子大生グループの方と店内で会話しました。「なんかほっこりする」「癒される」と。
「おじいちゃんおばあちゃん家もこんな感じ?」と訪ねると、「マンション暮らし」だと。環境や経験は無くても、日本人には脈々と感性や感じる心が宿り続けていると、うれしく確信した瞬間でした。

ほんのりとした風を感じる町家の空間で、地域と季節に寄り添ったカフェメニュー。場が持つ力と、受けとめ体感する側との出逢いが、豊かさの本質を取り戻すきっかけになっています。

世代や時代の瞬間的価値観に翻弄されず、誰もが持っている大切なものを取り戻すきっかけづくり、三宅商店もまた「へいのない学校」のひとつです。地域や季節に寄り添ったカフェメニュー、町家の空間、歩くだけで人懐っこさを感じる本町通り、倉敷を訪れる人にとって、日々の暮らしがちょっと楽しみになるような出逢いとなって欲しいです。

 
     
   
 
  高梁川と倉敷の結節点、酒津(さかづ)で
「森の水の一滴」に思いを馳せる
 
   
     
  |水辺のカフェ 三宅商店 酒津

倉敷市酒津にある「水辺のカフェ」は2010年に開業し、現在16年目を迎えています。三宅商店と同じく「地域と季節、水と緑」をテーマにした地域の商店としてスタートしました。

実は水辺のカフェは、三宅商店の二号店ではなく、もともとここに「どてみせ」と呼ばれていた「三宅商店」があったのです。そして、「朝ぶら」で4000キロを歩いた終着点が、高梁川と倉敷の結節点である酒津でした。私たちのまち、仕事や暮らし、そして私たち、そのすべての本質が高梁川のおかげさんだなと感じました。
 
     
  ひと・もの・まち、高梁川のおかげさん  
  倉敷のまちは干拓のまち、そして今も昔も高梁川に生かされ続けるまち。地域の地名には連島・玉島・水島・児島、安江・水江、浦田・西浦、宇野津・酒津など「島、江、浦、津」かつての水にまつわる地名が今に繋がっています。
1580年代、戦国大名の宇喜多秀家の命により、宇喜多堤が酒津から早島にかけて築かれ干拓されました。
さらに高梁川の水を干拓地に引くため八ヶ郷用水が整備されました。この用水が今も「水辺のカフェ」の前を流れています。

水辺のカフェの前にはその名の通り用水が流れる
高梁川が長年に渡って堆積させた土壌によって生まれた吉備の穴海は、遠浅で干拓に適していました。酒津を起点とした干拓はその後、江戸から昭和まで約400年続き、その結果出来たまちが今の倉敷です。
かつての干拓は全て石高を上げるため、領地を拡げて米の収穫量を増やすためでした。その際、干拓とセットなのが水。倉敷市内、どこの学区を歩いても田畑を潤す用水があり、その水の流れを遡れば酒津に辿り着きます。

そして私たちの体を形成する60〜70%は水。酒津の浄水場からは毎日、命と暮らしを支える水が供給されています。倉敷の「人づくり・ものづくり・まちづくり」はすべて高梁川のおかげで成り立っています。

高梁川から酒津公園に水を入れる取水場には人が集まる
ここから更に倉敷市街へ水が引かれ農業や生活に利用されている

江戸時代、干拓地は塩気を含んでいたため良い米が出来ず、代わりに塩気に強い「い草」や「綿」が栽培されるようになりました。綿を使った産業として真田紐や帆布、厚手の足袋などが生産され、児島や玉島は厚手のものを縫う技術力で発展しました。
現在もジーンズや学生服など厚手製品の生産地として知られています。このように「自然に寄り添ったものづくり」がこの地域の特徴であり、現代の工業誘致によるものづくりとは異なります。

地域の人々は自然の恵みを過度に取りすぎず来年のために残すという意識を持っており、玉島黒崎の漁師も自分たちの漁場を守るため上流で木を植えるなど、森川海のつながりを意識した活動を続けています。

 
倉敷市民の生活の水源、高梁川   用水での灯籠ながし

水辺のカフェは単なる飲食店ではなく、地域の自然や歴史を感じてもらう場として位置づけて、自然とのふれあいを通じて思いを馳せることができるような場作りを意識しています。
ホタルが飛ぶ場所があったり、用水が見えるなど「水や緑、季節が気持ちいい」と感じてもらうことを重視し、難しい話を噛み砕いて体験してもらう事を意識しています。また地元の子供たちと一緒に散策をする活動を行ったり、8月15日には盆踊りや灯籠ながしなど地域行事が行われています。
 


日本の作家さんに焼いてもらったタイルを貼った可愛らしいピザ窯

  コロナ禍(2020年)以降は、庭をさらに活かせるように工夫し、以前は有限会社くまの本社だった場所を改装し、ピザ窯を設置して季節を楽しめる空間にしました。


岡山の生産者さんから仕入れた
地域の素材を使ったピザ

また季節と向き合う気持ちよさを伝えるため、ビアガーデンも開始しました。 一般的なビアガーデン(19時ごろ開始)とは異なり、始時間は15時から17時の間に設定しています。
17時から始めると美しい夕暮れが宴の時間についてくるのですね。

商売の事だけを考えると遅いスタートの方が良いのでしょうが、せっかく酒津の景観の中にいるのだから、一日の終わりをゆっくりと味わうために自然の美しさを主人公にした運営を目指しています。
 


 
  今月のお話は一旦ここまで。
次回は倉敷美観地区に2012年に開業した「林源十郎商店」とそののち再び町家の保存に力を尽くした「土屋邸 KURASHIKI」についてご紹介します。
 
 
 

 
 

 

 
 

JOURNAL #26
2026年2
月掲載予定

 
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contents

 
  #15 2023.3.1 upload   #16 2023.4.12 upload  
     
 

倉敷の物語vol.2
倉敷の文化の礎

 

倉敷の物語vol.3
倉敷アイビースクエア

 
     
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