また大原孫三郎は、名も無き職人の手から生み出された日常雑器に美を見出そうとする民藝運動の良き理解者であり、支援者でした。孫三郎の意志は、長男で倉敷絹織(現・クラレ)の社長であった大原總一郎に受け継がれました。總一郎に招かれて倉敷に居を移し、倉敷民藝館初代館長になったのが外村吉之介です。静岡県で牧師をしていた外村は、民藝運動家であり、織物の研究者でもありました。
外村は美観地区の保護にも貢献しました。倉敷が伝統的建造物群保存地区に指定される以前は、町並みを保存するという意識が現在ほど一般的ではありませんでした。そのような時期に、江戸時代後期の米倉を再生し、町並み保存の先駆となったのが倉敷民藝館です。東京・駒場の日本民藝館に次いで日本で2番目にできた倉敷民藝館は、この地方の典型的な白壁の土蔵作りで、建物自体が民藝品でもあります。
美観地区や周辺にに酒津焼きや、倉敷ガラス、倉敷緞通など倉敷を代表する民芸品を販売する優良なお店が多いのも、生活文化と作り手を大切にするこの精神が関係しているのかもしれません。
1974年には倉敷紡績の工場を再生整備した倉敷アイビースクエアが開業しました。現在でも町家や土蔵を改装したカフェやレストランが開店するなど、古い建物を時代に合わせて活用する試みが続けられています。 |