まずは三原先生について少し教えてください。
三原教授
今年開学30周年を迎える、岡山県立大学のデザイン学部の1期生として入学しました。
公立の大学として初めてデザイン学部を持つ大学だったのですが、建物もギリギリに仕上がって、実は5月入学にするという位のバタバタのスタートでした。庭の工事も終わってなかったので、実習と称して庭木を植える手伝いをしたりしてました。授業も先生とフィールドワークしたりユルかったですが、良くいえば自由な時代でしたね。
いかにも「古き良き時代」ですね、
就職活動にはご苦労されたのですか?
三原教授
そんな学校のスタートでしたし、1期生なので学内にも情報の無い中で手探りといった感じの就職活動でした。おのずと自ら考えて動き、3年生の時は東京のデザイン事務所でインターンシップもして家具の試作の手伝いなんかもしていました。ただ個人事務所での勤務は違うなぁと思いメーカーで就職しようと考える様になりました。大学の先生の紹介でプリンターなどを製造しているメーカーに企業実習に行き評価も良かったみたいなんですが、この分野がやりたいわけでもないというのも分かってきました。ここから自分のやりたいことを本気で考え始めましたね。
初めから家具デザインを志向されていたのではなかったのですね。
三原教授
インターンシップで行っていたデザイン事務所では家具の仕事をさせてもらって、家具は面白いと思っていました。家具メーカーへの就職活動を本格化させましたが、デザイン職の募集は少なく、一般職の面接でデザインへの意欲をアピールしながら活動し、最終的には大阪でオフィス家具メーカーに就職しました。
ところが入ってみて分かったのですが、製品開発の無い部署を受けていたことを知って予想と違ってちょっと焦りましたね。
思い通りのスタートではなかったのですね。
結局デザインの仕事は出来たのですか?
三原教授
法人向けの営業活動の中で提案用の空間デザインの仕事をしていきました。バブルがはじけて後の7年ぶりの新人採用ということで参考になる先輩もいなかったので、「これは自分で仕事のやり方を考えないとな」と思いました。
空間デザインの業務の中で当時出回り始めた3DCGを使える人が社内におられなかったので、それならばと独自に習得したところ「3Dの提案なら三原君だね」ということで営業の先輩からも重宝して使ってもらいました。
ただ元々、製品デザインがしたかったので、顧客の声を生かした商品開発という形で営業部発信の商品開発も社内で提案し、商品化されるまでになりました。
そのメーカーには3年間おられたと伺っていますが、商品開発を担当されるのもずいぶん若い時にされたんですね。
その後、岡山県立大学に助手として戻られたのはなぜですか?
三原教授
大学ではプロダクトデザインを勉強してきこともあり、やっぱり商品開発を本格的に行いたいと思っていたんですね。その中で母校である岡山県立大学で助手を探されているという話を聞きました。
地方の出身でもあるので都会でずっと暮らすというイメージも湧きにくく、縁のある岡山でならと思い、試験を受けて大学で働き始めることになりました。
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