TEORI

  倉敷の美しい竹家具               face book   instagram  
JOURNAL
− ジャーナル −

#2 TEORI STORY vol.2
 
   
 
 
  #ヒストリー
 
     
ー 新社屋での出発 ー
1993年〜
 

当初の目標どおり、創業5年で本社工場を新築した中山正明。当時は住宅メーカーに収める押し入れ用の扉パネルなどを製造していた。その中で今も関係が続く事業者さんとの出会いがあり、部材だけの製造から完成品の製造に工場の態勢を充実。
また元同僚が始めた会社に自社の塗装を受け持ってもらい、ものづくりのネットワークを広げ、生産体制を整えていった。

一方、取引先の紹介や元同僚の合流、新卒採用などで徐々に社員が増える中、自身が現場のリーダーから経営者に脱皮する必要を感じ、1996年に中小企業の社長を鍛える勉強会である豊友経営研究会に加入。
以後10年にわたり経営の勉強を重ねることとなる。また同じ頃、マッサージ機のメーカーから木製の手摺(てすり)部材が作れないかとの打診があり、以後暫くはマッサージ機の手摺が売り上げの主軸となった。

 


当時の中山
 

ー 竹オリジナル家具の開発 ー
1998年

 

創業10年目が見え始めた頃、中山はテオリ初のオリジナル商品を模索していた。木工会社としてのベースは整ってきたが、まだ特殊な設備や技術があるわけではない。

  "差別化が図りながら、できれば地域に貢献できることはないか"

思索に更ける中ふと周囲に整備された美しい竹林があることに気付く。

真備町は筍の産地だが、間伐された竹は何にも使われず燃やされるだけでもったいないと感じていた。次々に子孫を増やす竹は、植林の必要もなく環境負荷も低い、この竹を使ったオリジナル家具が開発できれば、、、
そう思い立った中山は、 経営者の繋がりをつてに東京のデザイン事務所に家具デザインを依頼した。竹を伐採しいざ制作に取り掛かってみると様々な苦労が訪れた。

材料として使える部分が少なく、板材を作るだけで相当な工数(こうすう=手間)がかかる。 材質が硬く刃物の消耗が早い。糖分が多く虫がつきやすい。何とか手割りで竹を製材したものの、当時竹のみで家具を制作することは困難だった。

1年をかけて開発した初のオリジナル商品「竹装(ちくそう)」は、和をイメージさせる座椅子、座卓、ワゴン、マガジンラック、ベンチなど。


 

テオリとして初めての竹のオリジナル家具シリーズ
(茶色に見えている所が竹集成材)

竹の集成材は製造にコストがかかり、家具を竹だけで作ると家具の価格が上がりすぎてしまう。そこで竹はアクセントとして使いメープルを主材として制作した。

創業10年目の1998年、初のオリジナル商品を携え東京国際家具見本市に臨んだが初出展のため既往メーカーに占められた国内メーカーゾーンのブースを借りることができず、海外企業ゾーンのブースで出展することに 。

なんとか出展に漕ぎ着けたものの、実績のない竹とテオリの評価は厳しいものだった。なんとか5店舗で扱ってもらうことになったが、座卓と座椅子が20台売れただけで取り扱いも終わってしまう。しかしこれで諦める中山ではなかった。
竹の国内生産の難しさを痛感し、メインバンクを通じて中国の工場を探索した。

2000年に浙江省安吉に竹刀を作る工場を見つけ、そこで竹集成材を生産し輸入する体制を整えた。いつか地元真備の竹で家具を作ることを願いながら。

しかしそれが実現するのはしばらく先のことである。
 
 
  JOURNAL #3
(タケノコ)の里 真備
 
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